展示品等のご案内
名越家の「双龍」
砺波市宮森新の名越(なこし)家にあった土蔵の2階外壁を飾っていた鏝絵。
長さは約17.5メートル、高さは約1メートル。
荒波の中を2匹の龍が向き合っている。壁面から盛り上げた部分は約20センチメートルあり、鱗(うろこ)も1枚1枚を丁寧に仕上げている。
目の部分はガラスを貼って光を反射させる「玉眼(たまがん)」の技法が使われている。
明治40年代に制作された鏝絵で数年を要したと伝えられ、竹内源造の最高傑作である。
制作 / 明治40年代
名越 亮三 氏寄贈
竹内源造と名越家
明治41年(1908)以後、竹内源造と父の竹内勘吉は、千光寺(砺波市芹谷)土蔵の修理や、中越銀行(現砺波市立郷土資料館)の工事など、東砺波郡で仕事を行っていた。
「双龍」を発注した名越家は、東砺波郡栴檀野村宮森新の旧家である。家には江戸時代後期に改修した土蔵、江戸時代末期と明治時代中期に新築した土蔵が並び、棟続きとなっていた。
第5代名越和右衛門はこの土蔵外壁を飾る鏝絵を源造に頼んだ。年月と費用がかかる鏝絵は、財産の多さを示す象徴であった。
双龍を生み出した四神思想(しじんしそう)
源造は、四神を念頭に名越家土蔵の鏝絵を制作したとみられる。
四神とは、古代中国で四方を守ると信じられた想像上の動物である。
青龍(東)・白虎(西)・赤い鳥である朱雀(南)・亀に蛇が巻きついた玄武(北)があたれている。
四神は、飛鳥時代に日本へ伝わり、四神の姿を建物に表わすことや、四神を祭る場をまちづくりに取り入れることで、平安が祈られた。
源造は、土蔵東側に「双龍」、北側に「亀」(玄武)、南側に「天狗が乗った鳥」(朱雀)を制作した。白虎の部分は現存していない。
雲に鶴
この鏝絵は、射水市三ヶにあった木造2階建ての会社事務所の天井を飾っていました。展示中の鏝絵「亀」と対になっていました。中央の突起金具は、電気照明を吊り下げていた部分です。
羽根を大きく広げ、脚をまっすぐ伸ばした4羽の鶴が、めでたいことが起こることをあらかじめ知らせるしるしとされる瑞雲の周囲を舞い巡ります。
昭和5年(1930)制作
射水市指定文化財
第一薬品工業株式会社 寄贈
なまこ壁
竹内源造が手がけたとされるなまこ壁である。
なまこ壁とは、土蔵を装飾する鏝絵である。背景となる黒漆喰のうえに、白漆喰で盛り上げた部分が「七宝(しっぽう)つなぎ」と呼ばれる配置方法が並んでいる。
白漆喰部分が海に住むナマコに似ていることが、名前の由来である。
このなまこ壁は砺波市出町の商家にあった土蔵の側面を飾っていた。土蔵が道路に面していたため、店の看板のような役割もはたしていたとされる。
制作 竹内源造作とされる 大正時代
寄贈 近藤栄一 氏
恵比寿・大黒(射水市指定文化財)
この鏝絵は、射水市三ケにあった会社事務所の正面入り口を飾っていた鏝絵である。
長年の風雨にさらされましが、制作当初の彩色が残されている。
幸運をもたらすとされる七福神の中でも、特に信仰される恵比寿と大黒を表現している。恵比寿は釣竿の代わりに日本国旗を持ち、大黒は小槌を立てた姿が近代の雰囲気を伝えている。
制作 竹内源造作 昭和5年(1930)
寄贈 第一薬品工業会社
鳳凰
この場所は、旧小杉町議会の議場で議長席があった。
鳳凰は、壁面から50センチメートルも飛び出している。こうした鏝絵を作ることは難しく、源造の技術力の高さを示している。
鳳凰の鏝絵の真下は、天皇・皇后の正装写真(御真影)を懸ける奉掲所(ほうけいしょ)として用いられたと思われる。日本国内では、皇室に関係する設備や道具に、想像上の動物である龍や鳳凰の姿を表わす例が多くみられる。
制作 竹内源造 作 昭和9年(1934)
龍
この鏝絵は射水市西高木の個人宅にあった土蔵の妻飾り(つまかざり)であった。
妻飾りは、土蔵の屋根の下に付けられる装飾鏝絵である。
その意匠には、文字の「水」「龍」、また水をつかさどるとされる龍の姿を表わしたものが見られます。これは、家財を収めた土蔵を火災から守るまじないを目的とする。
龍の眼には写実性を追及してガラスがはめられているため、光をあてると反射する仕上がりとなっている。
制作 竹内源造作 年代不詳
寄贈 竹内喜平 氏
唐獅子牡丹
この鏝絵は、射水市二口の個人宅の洋間を飾っていた。
牡丹の花にたわむれる3頭の獅子の姿です。獅子はライオンをもととする創造上の動物で、その特徴である流れるような毛並みも細い鏝を使って見事に表現している。
目の部分はガラスをはめた玉眼となっている。
完成に数年かかったと伝えられている。
源造は獅子を表現した鏝絵を複数制作しているが、その中でも群を抜く見事な作品とされている。
制作 竹内源造 作 昭和4年(1929)
寄贈 吉田清孝 氏